ヴェスタリアサーガの作者ブログで構想メモとゲーム制作に関する想いが載せられています。
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昔のゲームってこういうバックグラウンドみたいなことを設定資料集に載せたりしてたよね。
構想を載せながら、ところどころに実際にゲームに落とし込む際の注意書きなんかも載ってて参考になります。
主な内容はヴェスタリアサーガの世界観やキャラクターの設定などだけど、他にも時代考証や敬語などにも触れられている。
また敬語の使い方や、言葉の持つ意味も、過去の時代を扱う場合には大変重要です。 山賊のボスが指揮(官)でないことは前にも言いましたが、臣下が君主に対して使う言葉にしても、その一つ一つが、双方の関係性を示す重要なキーワードになります。 これは私自身も大変苦労するし、間違うことも多いのですが、作品として世に送り出す以上は留意すべき重要事項だと考えています。 テキストをアシスト、チェックする方は、そういった点に注意して制作協力をお願いします。
キャラクターの喋る言葉なんかは、ゲームプレイする側は何も気にせず読んでいたけどよくよく思い返してみれば言葉遣いなんかも違和感とかそういうことを感じることがなく自然に入ってきた気がします。
どれだけキャラクター設定に立場や性格を書き連ねたって、実際にゲーム中での喋り方や行動の方がより明快にキャラクター性を表現しますしね。
ちょうど今、ノーベル賞を受賞した大隅良典さんが行き過ぎた短期の成果主義に警鐘を鳴らしていたけど、この資料もそういうものなのかなぁ。
短期的に売上を上げないといけないから、見た目だけそれっぽくしてバックグラウンドは適当…みたいな。
個人的な感想だけど、バックグラウンドがない状態での設定や描写は白けるんですよね。
展開自体は唐突でもそれに対する説得力さえあればそれは成り立つと思うんだけど、バックグラウンドがないから全く説得力がない。
感動というのはそれまで積み上げてきたものがあるからこそ起こると思うんだけど、そこをわかってないと思う。
設定上は重要なキャラでも、ゲーム中でそれまで空気だったら突然主人公をかばって死んだって感動できるわけがない。
上記ブログ中でも「制作者が「わかっていてやる」分には良いのです。」と書いている。
しかし最近のはわかっていてやってるとはとても思えない。
…ちなみにわざわざ書かなくてもわかると思うけど、上記は全部某ゲーム制作陣への不満です。
自分は最新作でシリーズを貶めたことを未だに許していないからな。
「自分自身が、(執筆しながら)、感動し、奮い立ち、涙すること」ができなければ、読者は恐らく、何一つ感動を得られないだろう。 私は本職の物書きではないが、創作とはそういうモノだと思っている。
2つ目の記事、構想ノート(公開資料)より。
どっかの某ゲームの制作陣はこれらの文書を100万回読んで反省してほしいですね(-_-#)